2015年




ーーー4/7−−− ヤスリ事件


 
数年前に亡くなったが、米国にサム・マルーフという名の木工家具作家がいた。特に椅子に強みがあり、現代を代表する木工家の一人という名声を誇ってきた。私は木工を目指して間もない頃、たまたま雑誌で氏の名前を知り、東京の洋書店で著書を購入した。作品と製作工程の写真をふんだんに載せた写真集だった。氏が作る椅子は、豊かな曲線が特徴である。その曲線を、木工ヤスリで削っている写真があった。そして「ニコルソンのヤスリは、私の仕事にとって不可欠である」とのコメントが記されていた。

 氏の作風に興味を感じ、氏が愛用している道具を使ってみたくて、ニューヨークの木工道具店ギャレット・ウェード社からニコルソンの木工ヤスリを取り寄せた。その頃は、49番と50番の二種類があったので、両方を購入した。50番の方が若干目が細かいということだった。届いたヤスリは、驚くほどの切れ味だった。マカバやナラといった硬い材でも、わずかなストロークでゴリゴリと削り落とせた。まるで吸い付くような使用感だった。世の中にはこんな道具があるものかと、鮮烈な印象だった。

 その後、追加して数本取り寄せた。現在使っているものは、たしか10年くらい前に購入したものである。さすがに切れ味が低下してきたので、新たに買おうと考えた。それにしても、10年間使い続けて、いまだになんとか現役であるというのも、大したものだ。普通の刃物だったら、そんな年月を、目立てをせずに使い続けることは、考えられない。

 ネットで調べたが、国内でニコルソンの木ヤスリを扱っている店は、なかなか見つからなかった。ようやく探し当てた店に注文した。Made in USAではなく、Made in Brazilというのがちょっと気になったが、心配はしなかった。しかし、届いたヤスリは、がっかりする品質だった。ひどく切れ味が悪く、極端な事を言えば、10年間使い古したものと同程度の感じがした。

 これはいったいどうした事だろう?、と疑問に思い、ネットで調べてみたら、米国のあるサイトにその答えが見付かった。ニコルソンの木工ヤスリは、米国産からブラジル産に変わってから、決定的に品質が低下したと言うのである。発信者は道具屋で、ユーザーからのクレームや返品が相次ぎ、取り扱うのを中止したと書いてあった。なるほど、生産地が変わったので、品質が落ちたのか。その道具屋のメッセージは、5年ほど前のものだったから、ニコルソンはだいぶ以前から品質を落としていたことになる。

 この事実を知って、販売店にメールを送ってクレームをしたら、返事が来た。仕入先に問い合わせたところ、同様の指摘がいくつか寄せられており、品質に問題があることは間違いない。それ故、返品に応じるとの事だった。一度使ったものを引き取ると言うのだから、良心的な対応である。ともあれ、ニコルソンの品質を信じて購入し、私と同じようにがっかりした人が、国内にもある人数いたのである。

 ニコルソンの鉄工ヤスリは、世界の一級品と言われているそうだ。その鉄工ヤスリも、品質が落ちているのだろうか。それとも、マイナーな商品である木工ヤスリだけ、外地生産にしたのだろうか。そんな詮索は別として、あれほど優れた品質が、もはや手に入らないと言うのは、残念の一語に尽きる。

 私はこれまで、木工仲間にニコルソンの木工ヤスリの品質の高さを吹聴してきた。ブログで紹介したこともあった。それを信じて、ブラジル製を購入した人もいただろう。なんだか申し訳ないような気がする。




ーーー4/14−−− 手垢にまみれるもの


 
何年も前のことだが、異なるジャンルの工芸家が集まって作品展を行った。私は椅子や小箱などを展示した。隣のブースは、藍染作家だった。展示会が始まってしばらくすると、言葉を交わすようになった。かなり力のある作家とお見受けした。展示会も場数を踏んできた様子であり、品物の見せ方や、客あしらいなども、板に付いていた。

 その藍染作家は、初老の女性だったが、私の展示を見てこんなことを言った。「ずいぶん手がかかった高価な椅子だけれど、こういうものは難しいかもしれないわね。椅子というのは日用品で、手垢にまみれるものでしょう。そういうものにはお金を出したがらないのよ、日本人は」 思いもかけない事を言われて、私は驚いた。と同時に、なるほどそういう考え方もあるのかと、思った。確かにその当時は、精魂を込めて作った椅子、例えばアームチェアCatなどは、なかなか売れないという状況が続いていた。

 現在の私は、手間をかけて椅子を作るという路線が、間違っていなかったと確信している。販売が活況を呈しているというほどのものではない。しかし、コンスタントに売り上げがあるということは、その価値を認めて下さる方がいるという事だ。そして、お買い上げ頂いたお客様のご感想に接するたびに、その路線の正しさを確信するのである。

 椅子は、直接体が触れ、体を預け、体を休ませる、重要な道具である。毎日必ず使う、使用頻度の高い道具でもある。つまり、手垢にまみれるほど身近に使う物である。それだからこそ、品質にこだわるべきだと思う。椅子に求められる品質は、座り心地、堅牢性、耐久性、フォルム、手触りなど、様々である。そのいずれをも高いレベルで満たすには、製作過程において、それ相応の時間と手間が必要とされる。その結果として、高額になる。しかし、その価格には意味がある。安くて良い品物は、無いのである。

 日本人の価値観も、昔通りではない。手垢にまみれるようなものにもお金を出す。質素な暮らしをしている家庭の食卓で、毎食時に輪島塗のお椀が使われる。そんなライフスタイルが、真にリッチな生活へのヒントではあるまいか。




ーーー4/21−−− 静かなる集団


 
数年前、ちょうど今頃の時期だったか、たまたま松本へ出る用事があり、そのついでに松本城に立ち寄った。昼時だったので、お城を眺めながら昼食を取ることにした。近くで弁当を買い、天守閣を目の前に見るベンチに陣取った。

 弁当を開きかけたとき、二十名くらいの団体が近づいてきた。そして、私の周りのベンチに腰を下ろした。同じように、ここで昼食を食べる様子だった。私は、一人で静かに食事をしたかった。周りでガヤガヤやられたら興ざめだ。他へ行けば良いのに、何で私のそばに来るのだろう。いささか不快に感じた。移動しようかとも思ったが、弁当を開きかけていたし、また露骨なようで気が引けた。仕方なくそのまま食べ始めた。

 例の団体も、楽しそうに身を寄せ合いながら、食事を始めた。これは騒々しくなるな、と思った。ところがしばらくして、私はおかしなことに気が付いた。その団体は、和気あいあいといった感じで、楽しそうにやっているのに、まったく静かなのである。全然話し声が聞こえてこないのである。まるで無声映画を見ているようだった。私は、自分の耳がどうかなってしまったかと思ったほど、異様に感じた。

 後で気が付いたら、それは聾唖者の団体だった。どうりで話し声がしないはずである。それで事態を納得したのだが、同時に私はちょっと寂しい気持ちになった。なんだか自分がとても恥ずかしくなったのである。




ーーー4/28−−− 忘却の口座


 地元の銀行から、葉書大の書類が届いた。中を見ると、私名義の預金口座で、ここ数年間全く出し入れが無いものがあるが、今後どうするかという問い合わせだった。口座番号を頼りに、手持ちの通帳を調べたが、該当するものは無かった。つまり、身に覚えが無い口座であった。作ったけれど、あまり使わず、そのうちに忘れてしまい、放ったらかしになっていたものと想像したが、腑に落ちなかった。

 過去にも、別の銀行だが、同様の通知が送られてきた事があった。その時は通帳が見つかった。残高がほんのわずかだったので、わざわざ出かけるのが億劫になり、何もしなかった。その口座がその後どうなったかは、分からない。

 今回も、忘れていたくらいだから、ほとんどお金は入っていないだろうと思った。そう思い込むと、アクションを取るのが面倒になった。数日間、何もせずに過ごした。書類はテーブルの上に置かれたままで、メモ書きなどに使われた。もう少しでゴミ箱に入るところだった。

 ある朝、起きがけに布団の中でまどろんでいたら、急にその口座のことが気になった。ひょっとしたら、9年前に亡くなった父が、私の名義で隠し口座を作り、遺産を残していたのではないか。贈与税がかからない範囲で毎年積み立ててきた埋蔵金。自分の死後数年たってその事実が明るみに出る。すぐに渡すよりは、一定期間置いて渡す方が、息子のためになるだろう。数年越しの、壮大なサプライズ計画。そんな手の込んだ事をする性格の父ではなかったと思うが、この想像は妙に現実味があった。

 書類を送ってきた松本支店に電話をしたら、最寄の支店へ出向いて相談するようにと言われた。気になる残高については、電話では教えられないと断られた。電話を切ってすぐに、穂高支店へ出かけた。前日までの無関心ぶりが嘘のような、機敏な行動だ。出かける前に、家内に私の想像を話して聞かせた。「遺産金が転がり込んだら、慈善団体に寄付をするか」と言ったら、「冗談は止めてくださいよ」と真顔で返された。

 支店の窓口で、例の書類を見せ、運転免許証で本人確認をすると、店員は口座の現状を説明してくれた。残高は、遺産にしては少なかったが、無かったはずの口座にしては、ちょっとした金額だった。現状の生活費三か月分ほどの額だった。その場で解約し、別の口座へ入れた。

 自宅に戻って、詳しく調べたら、真相が分かった。この地に越してくる前、一年半ほど松本市に住んでいた時期があったが、その時に作った口座だった。住んでいた地域の支店から、松本支店に切り替えた際の、古い通帳が見付かったのである。その新しい通帳を、紛失してしまったという事だったのだろう。それだけの残高がある口座の通帳を、無くしても気が付かずに過ごして来たとは、なんとも迂闊な事であった。

 それにしても、父の遺産と言う、突飛な妄想が頭に浮かばなければ、この残金は回収できなかった。亡き父が、ぼんやり息子に気付かせるために仕組んだ事だったのか。







→Topへもどる